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2026年3月1日 礼拝
説教概要
主の祈り序曲
小泉美早子師
マタイによる福音書6章9節
主が教えられた祈りの最初の言葉「天にましますわれらの父よ」は、祈りの中心が言葉の多さや正しさではなく、神様との関係にあることを教えられます。イエス様が「くどくど祈るな」と言われたのは、長い祈りや熱心な祈りを否定されたのではありません。むしろ、恐れや不安から「何とかして聞いてもらわなければ」と力む心を、信頼へと解き放つための招きでした。うまく祈れない時も、言葉が出てこない時も、ため息のような祈りさえ、父なる神様は受け止めてくださいます。
私たちはこれまでの歩みの中で、神様を遠く感じたり、祈りが届いていないように思えたことがあったかもしれません。しかしイエス様の十字架と復活によって、私たちは神の子とされ、「父よ」と呼ぶ道が開かれました。その確信は自分の強さから生まれるのではなく、聖霊が私たちの内に働き、「あなたは愛されている」と静かに証ししてくださることによって与えられます。祈りは頑張る場ではなく、帰る場所です。
主の祈りはまた、「われらの父」と祈る共同体の祈りです。同じ父に愛される者として、私たちは支え合う家族とされています。祈れない人も、疲れている人も、疑いを抱えている人も、この祈りの中に居場所があります。
ローマ10章15節「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」という御言葉は、この「父を知る恵み」と深く結びついています。良い知らせとは、まず「あなたには天の父がおられる」という知らせです。強い足でなくても、傷のある足でも良いのです。父に支えられて歩むその歩みこそが尊い。主の祈りに立ち返ることは、私たちを安心へと導き、やがて静かに外へと遣わしていく力となるのです。
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