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2026年2月22日 礼拝

説教概要

祈りとは

小泉美早子師

マタイによる福音書6章5ー8節

祈りとは何でしょうか。それは願いを叶えるために神を動かす手段ではありません。祈りとは、隠れたところにおられる父なる神の前に、そのままの自分で立つことです。ここで、イエス様は二つの祈りを退けられました。一つは、人に見せるための祈り。もう一つは、言葉数で神様を動かそうとする異邦人の祈りです。

 

人に見せる祈りとは、必ずしも人前で声に出す祈りのことではありません。たとえ密室であっても、心が人の評価を気にしているなら、それはまだ人の前に立っているのと同じです。祈りが自己確認や比較の材料になるとき、私たちは神ではなく人を見ています。また異邦人の祈りは、遠くにいる神の注意を引こうとする祈りでした。だから呪文のように言葉を重ねるのです。しかしイエス様は言われます。「あなたがたの父は、求める前から必要をご存じである」と。神様は遠い存在ではありません。

 

ですから祈りは、神様を説得する行為ではありません。神様のまなざしの中で、自分が整えられていく時間です。見栄や恐れが静められ、「あなたにお任せします」と委ねる心が育てられていきます。祈りはまた、心に溜まった痛みや不満を正直に差し出す場所でもあります。嘆きや弱さをも神様は退けられません。祈りの中で私たちは神様との信頼に立ち返ります。

 

聖霊は密室の祈りの中で私たちを癒し、恐れを取り除き、再び歩み出す力を与えてくださいます。そして整えられた者を、神様は世へと遣わされます。「良い知らせを伝える人たちの足は」祈りは内側で終わりません。神様のまなざしの中で整えられた人生そのものが、福音を運ぶ足となります。祈りとは何か。それは、父なる神の真実を信頼して生きること。神様の前に立ち、神様によって整えられ、そして神様によって遣わされていく歩みです。

​前回の説教概要

©2023 by 岡山神召キリスト教会

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