2026年1月25日 礼拝
説教概要
私たちは誰もそうしないと生きられなかった
小泉智師
ガラテヤ書4章1ー4節
大切なものであればあるほど、もたれかかりすぎてはいけない。そう語ってきたパウロはさらに切り込みます。では人はなぜその重心から離れられないのか。遺産の相続人として生きてよいのに、なお奴隷のように生きてしまう不思議なたとえ。ここにあるのはギャップです。パウロはそれを「この世の幼稚な教えの下にある状態」と見抜きます。
私たちも問うでしょう。なぜ自分はこういう生き方しかできないのか。なぜこういう性格でほかの生き方が難しいのか。答えは、そう生きてくるしかなかったからです。家庭、時代、環境。過酷な現実を生き抜くため、無意識のうちに身につけるしかなかった思考や行動。誰もが人生を一生懸命生きています。その分、そこにはサバイバーとしての痛みの跡があるものです。
だからこそ、いきなり手放せと言われると不安になる。それは自分の人生そのものを否定されるように感じるからです。ところが福音は、私たちが無意識に選び続けてきた土台を鋭く照らします。その時、人は揺さぶられます。不安さえ起こるでしょう。どう生きればいいのですかという戸惑い。しかし同時に、それはもう自分で自分を守らなくてよい解放の声でもあります。なぜならキリストが守ってくださるからです。
定めの時が来たので神はとパウロは呼びかけます。神の時はすでに始まっています。相続人なのに奴隷のように生きてしまう私たち。人とはなんと悲しく、愛おしい存在でしょうか。しかし、そうしないと生き延びられなかった時代は終わりました。それを終わらせてくださったのはキリストです。無意識に身につけた生存の知恵ごと主に差し出しましょう。「わたしは神の子です」と感謝の告白とともに歩む地点に立たされているのですから。