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2025年5月18日 礼拝

説教概要

​心の貧しい者は幸い

小泉美早子師

​マタイによる福音書5章1節ー3節

 イエス様が山の上でお語りになった「山上の説教」です。その中で「こういう人は幸い」という「幸いの教え」が始まります。「山上の説教」は私たちが聖書と向き合い、対話しながら歩むのにふさわしい箇所です。

 

 「心の貧しい者は幸い」それは「心の貧しい者になれば幸いになる」という幸いになるための条件ではありません。「貧しい」というのは、自分のものを何一つ持たず、物乞いをして生きるしかない人です。そこに「心の」がついています。つまり、自分を支える拠り所となる心の豊かさを全く持っていない人が「心の貧しい者」です。

 

 自分は貧しくても心だけは豊かだ、と言いたいところです。実際私たちの心は、豊かでも広くもない、愛に富んでもいない、人を受け入れる度量もない、すぐにイライラし、かっとなり、八つ当たりし、自分のことを棚に上げて人を責めることに熱心になっていく、私たちは本当に心の貧しい者なのです。

 

 そのような私たちにイエス様は「幸いである」と語って下さいます。「天の御国はその人たちのものだから」とあります。天は神を言い換えています。神の国、神の支配が確立する、そこに私たちの救いがあります。神様が王として私たちを支配して下さる救いの日が近いとイエス様が語られたのです。

 

 私たちがどんなに心貧しい者であっても、神様は私たちを愛し、私たちを背負い、支えている、だから私たちは幸いなのです。イエス様が十字架と復活によって天の御国である救いを与えて下さった、その幸いを感謝して、大いに喜んで生きるのです。12節には「喜びなさい。喜びおどりなさい」とあります。その幸いの中で貧しい心が豊かにされていきます。私たちの喜んで生きる姿が周囲の人々に良い影響と証しをもたらしていきます。

​前回の説教概要

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