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2025年5月11日 礼拝
説教概要
母のように
小泉美早子師
テサロニケ人への手紙第一書2章6節ー8節
テサロニケ教会はパウロ達が伝道して生まれた教会です。当時お金儲けを目的に巡回説教していた者がいました。その人たちとパウロたちは一緒にされ、教会が混乱し、信仰から離れてしまいそうになる人たちがいました。パウロたちはそういう報酬目当てではないと強調します。
さらに、名誉や栄光といったものも放棄しています。人からの栄光を求めず、尊重されることを求めませんでした。7節「優しくふるまった」は別訳で「幼子のようになった」とあります。幼子は自分の権利を主張したり、重要視するようにと要求しません。
幼子のようになるとは、ただ神様の憐れみによって救いにあずかることが出来る弱く小さい者であることを認め、ひたすら神様に寄りすがることです。幼子のようになることで、母親のようになることもできるのです。「母親」は「乳母」という言葉です。自分の子どもではない乳を与える働きを担う人です。
母親が赤ん坊に乳を与えるのは、自分の体、命を子どもに与えることです。ただ乳を与えるだけでなく、命の分かち合いとも言えます。愛によって自らの命を与えていく分かち合いがあります。
パウロはここで自身の働きや労苦を自慢しているのではありません。私達のために人間となり、十字架の苦しみと死を引き受け、復活されたイエス様を見つめています。イエス様に従うことで、自分の命を喜んで与えたい、という思いが起こっています。
イエス様を見つめ、従うことはクリスチャンに求められています。私たちがイエス様に従おうと決心するとき、母のような自己犠牲の愛が与えられ、幼子のような自己主張や権威を要求しないキリストの弟子に変えられていきます。
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