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2025年10月12日 礼拝
説教概要
比較の世界を抜け出して
小泉智師
ガラテヤ人への手紙3章19ー20節
信仰とは、神の一方的な恵みの約束に基づきます。これが旧約聖書のアブラハム以来の原則です。ではなぜ、神は後に律法を与えられたのか―パウロはその疑問に答え、律法の役割を語ります。
律法とは神の基準であり、自分がその基準に到底届かない惨めな存在であることを気づかせるもの。人は他人との比較で自分を正当化しようとしますが、鍵はそこではないのです。大切なのは神の律法に照らしあわせてどうかです。律法を守れない自分の愚かさに気づき、神の前に弁明できないと悟る時、初めて救いの必要に目が開かれるのです。
律法の前に立たされる時、己の力を信じる甘さは砕かれます。主イエスの十字架の救いの恵みに向かわせます。そういう意味で律法は必要なのです。パウロは、アブラハムから主イエスに至るまで一貫する恵みの世界を明らかにし、律法を守ることで得ようとする救いを主張する誤りを正すのです。
神の約束はアブラハムに直接与えられましたものでしたが、律法は天使を介してモーセに与えられた間接的なもの。直接の約束は、律法よりも優れています。律法の本来の役割は、私たちをキリストへ導くことにあります。
現代を生きる私たちにも当てはまります。どの社会にも道徳やルールがありますが、それらを守ることで救われると聖書は言いません。ルールを守れないことに絶望し、自らの惨めさを嘆く者に、主は救いの手を差し伸べられます。これこそが福音です。
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