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2025年10月26日 礼拝
説教概要
救いの道はひとつだけ
小泉智師
ガラテヤ人への手紙3章21ー22節
パウロは、救いが神の約束によるものであると語ります。では約束と律法との関係はどうなるのかと整理するのです。もし律法を守ることでも救われるなら、信仰による救いと矛盾し、ふたつの道が張り合うことになります。つきつめると旧約聖書と新約聖書が食い違うことにもなりかねません。しかし救いの道はただ一つ、信仰によるのがパウロの確信です。
確かに律法は神から与えられた善なるものです。しかし律法自体には人を生かす力はありません。たとえば、全身全霊で神を愛せという戒めは正しいものですが、人にはそれにこたえる力がありません。あると豪語できるほうがよほどの身の程知らずでしょう。当時の聖書解釈では律法は罪から人を守るものというものでした。しかしパウロはさらにつきつめます。律法とはむしろ人の罪を明らかにするものなのだと説明します。
人は律法の求める要求に完全に応えることができないので、善なる律法によって罪の支配のもとにあることが示されるのです。罪の自覚が生まれるからこそ、救いの必要が示されるとも言えるのです。それゆえ律法は、福音に至る道を備える役割を果たすのです。こう整理すれば律法と福音は矛盾ではなく、共に神の救いの計画において働くものだとはっきりするでしょう。
この救いの恵みは、イエス・キリストを信じるすべての人に与えられる約束なのです。教会とは、そうした恵みによって形作られる神の民の交わりです。決してなにかの行いを守ることで救われる発想に傾くことがありませんように。私たちの信仰生活が、なんらかの規則に縛られて自分や誰かを責める歩みではなく、恵みに生かされるものでありますように。
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