top of page
2025年6月15日 礼拝
説教概要
父の心
小泉智師
ルカによる福音書11章9節ー13節
どう祈ればいいのか。弟子たちの問いに主の祈りを教えて下さった主イエスはさらにお答えになられます。求め続けよ。探し続けよ。たたき続けよ。祈りにおける熱心さ、粘り強さが求められます。引き合いに出されるのが父親です。魚を求める子どもに蛇を与えるような親はいません。卵を求めるわが子に、さそりを与えるような親はいません。食べ物を求めているのに危険なものを与える親がいるはずがないのです。
悪い親と言っても決してろくでなしであるとか、わが子を虐待する酷い父親という意味ではありません。限界や至らなさ、欠点もある父親ということでしょう。たしかに自分は完璧だと言える親はどこにもいません。それでも足りないなら足りないなりに、わが子のために最善のものを与えようと思うのが親ではないでしょうか。
実は10章では蛇や蠍とは悪霊のシンボルです。旧約聖書では呪いや脅威として出てきます。しかし天の父が祈りに答えて与えて下さるものは悪霊などではなく聖霊なのだということでしょう。求めるならば必ず聖霊は与えられると約束されているのです。不思議ですが、聖霊によるいやしの働きや奇跡などが、悪霊から来るものだと批判された背景があるようなのです。
肝心なのは、旅人のたとえにもあるように、真剣にパンを求めるのは自分のためではなく困窮している隣人のためだと言う点です。聖霊を求めるのは自己満足でも自己陶酔でも承認欲求でもない。困っている隣人をなんとかしてあげたいとするあわれみの心からです。親として、あるいは子として力不足を嘆き、不甲斐なさに悩む者は、執拗に聖霊を求めればいいのです。必ず与えられるとの約束に基づいて、祈ろうではありませんか。
bottom of page