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2024年4月28日 礼拝

説教概要

欣喜雀躍

小泉 智牧師

マタイによる福音書10章29節ー31節

鳥の囀りが耳に響く季節。聖書時代、雀は当時、二羽で売られました。値段は日当の16分の一。一羽では値が付かない価値のないものの代表が雀です。そんな雀も、神のゆるしがないなら地に落ちません。神は小さな存在にもまなざしを向け、心にとめて守っておられます。

 

自分は無価値だと思いやすい私たち。力もとりえもなく立派ではないと思い込む。以前は社会で役割を担っていた立場を失う例もあります。しかし、主イエスは呼びかけます。無価値だと思っている者にも慈しみの眼を向けられる神を信じなさいと。

 

しかも神は私たちの髪の毛の数さえ数えておられます。いくら自分をよく知っていても髪の毛の数を知る人はいません。即ち、神は私たち以上に、私たちを知り抜かれます。私たちに深い関心を寄せて、関わられるお方なのです。

 

従って、私たちは怖れにとらわれなくていいのです。人生は怖れに満ちています。家庭で、仕事で、人間関係で不安に駆られます。代表的なおそれの例が人です。私たちは人をおそれやすいのです。人と比べて自分を卑下するのも人をおそれる姿です。自分は自分と割り切るのが難しいのです。

 

人ではなく恐れるべきは神です。神をも恐れぬという言葉がありますが、神に畏敬の念をもつなら、あらゆるおそれから解放されます。神の愛のまなざしを受け止めて、平安と安心の中を歩めるようになるのです。

 

隠されていることは必ず明らかになるのです。悪事がいずれ暴かれると言う意味ではありません。神に愛されていることが誰の目にも明らかになるのです。キリストが十字架で死なれ、復活された一点に神の愛が明らかにされました。この神の愛を信じて、喜びの中を歩んでいきましょう。

先週の説教概要

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