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2025年12月7日 礼拝

説教概要

痛みから始まる

小泉美早子師

マタイによる福音書1章18ー25節

聖書が語る最初のクリスマスは痛みと混乱のただ中に始まります。ヨセフは婚約者マリアの突然の妊娠を知り、自分の子でないと分かり悩み抜きます。信仰深い彼はマリアを公にせず、密に身を引こうと決めます。信仰者であっても痛みや葛藤は避けられず、むしろ信仰ゆえの苦しみもあります。神様を基準に生きようとするがゆえに悩みは深くなるのです。しかしそこでヨセフは、夢で天使から「恐れずマリアを迎えなさい。」と告げられます。神様

は混乱のただ中で創造の業を始められるお方であり、ヨセフは救い主の養父として選ばれたのだと示されます。

 

人は自分の家族や境遇を選べませんが、神様が選んで与えてくださった場所に立っています。「選ばれて立たされている」という自覚は、人生の苦難に耐える力となります。神様が共におられないなら人生は偶然の連続で、ただ不幸を嘆くしかありません。しかし「神が共におられる」と信じると、自分の人生にも神様の計画があると気づきます。神様は選んだ者を見捨てず、必ず励まし続けてくださいます。

 

キリスト教が鎖国と迫害を越えて生き残ったように、神様の霊は地中深くで働き続けます。表面では何も起こっていなくても、神様は忘れず、導き続けるお方です。だから目の前の苦しみだけで判断せず、神様の支えを信じて歩むのです。「インマヌエル—神は私たちと共におられる」は、問題が解決してからではなく、問題のただ中での臨在を示します。イエス様の誕生は人間の力でなく聖霊による業であり、救いも私たちの努力ではなく神様の恵

みによることを示しています。ヨセフは天使の言葉を受けるだけでなく、聖霊に力づけられ、マリアを妻として迎え、子を「イエス」と名付けました。苦しみの中でも聖霊が人を立ち上がらせ、神様の計画に参与する力を与えます。クリスマスとは、痛みのただ中に神様がともにおられ、救いの光を灯される出来事です。

​前回の説教概要

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