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2025年11月9日 礼拝

説教概要

怒りを和解に

小泉美早子師

マタイによる福音書5章21ー26節

今日の個所はイエス様が律法を完成させ、外面的な罪ではなく、心の中の怒りと赦しの欠如こそが神の前に問われることを示しています。イエスは「殺してはならない」という戒めを引用しつつ、「兄弟に腹を立てる者も裁きを受ける」と語られました。怒りや侮辱の言葉は、実際の殺人と同じく命を軽んじ、神のかたちを否定する行為です。

 

しかしイエス様の目的は、私たちを罪の恐れに縛ることではなく、和解へと導くことにあります。礼拝の供え物をささげる前に、兄弟と仲直りせよと語られるように、神様との関係と人との関係は切り離せません。真の礼拝は、赦しと和解の実践の上に立つのです。怒りの根には、他者への反発だけでなく、自分自身と神様への不信と拒絶があります。人生の痛みの中で神様を責め、心が硬くなるとき、怒りが生まれます。だからこそ、和解の出発点は神様との和解です。イエス様は十字架で、敵意と断絶を取り去り、私たちを神様と人との間で結び直してくださいました。

 

イエス様の復活によって与えられた聖霊が働くとき、赦せなかった心が溶かされ、憎しみは愛へと変えられます。聖霊による一致は個人の赦しを超えて、教会の一致・家族関係の修復・民族や国を越えた和解をも生み出します。初代教会では聖霊が降り、民族と言語の壁を越えて一致が起こりました。リバイバルはいつも、聖霊による赦しと一致から始まるのです。

 

イエス様は今も、私たちに「怒りを和解に変えよ」と語られています。赦しは人の力ではなく、聖霊の恵みの業です。聖霊が臨まれるとき、心の壁は崩れ、教会と家庭、そして世界に平和の火が灯ります。

​前回の説教概要

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