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2025年4月13日 礼拝

説教概要

十字架の福音

小泉智師

ガラテヤ人への手紙2章6節ー10節

受難週です。すべての人のために十字架で死なれた主イエスは人を分け隔てなさいません。すべての人を愛と恵みで赦します。人間的権威などどうでもいいことなのです。間違った福音を説く偽兄弟がある種の権威を悪用したのを意識しての発言です。

 

特別視は、特別ではない誰かを生む。人は相手との間に差をつけたがります。この時代は割礼のあるなしで差をつける動きがありました。しかし神の目にはすべての人は同じで、優劣などありません。割礼のあるなしで異邦人が救いの外に置かれるなどあってはならないことでした。

 

もっとも違いもあります。実際、ペテロの任された働きと、パウロに託された働きは違います。福音はひとつですが、対象が違うのです。役割分担をし任せたのはあくまでも神です。主イエスが働きかけて、異なる務めに召したと告白されています。

 

主にあって同じ私たちも、できることがそれぞれ違います。同じことが出来なくても気にする必要はありません。違いとは、主イエスの福音の豊かさの現れです。この豊かさを分かち合うことで私たちお互いの信仰は成長していきます。

 

従ってパウロは一致のしるしとして右手を差し出します。その一致の証しが貧しい人たちへの捧げものです。エルサレム教会は激しい迫害などで人が散り、経済的厳しさの中にありました。異邦人の教会がエルサレムの教会に捧げるのは教会一致の具体的な形でした。

 

これを心がけてきたパウロは異邦人教会の捧げた献金をエルサレムにまで自ら届けるほどです。十字架の福音が分裂ではなく一致をもたらすと信じるからです。私たちも教会の一致のために召されたことを感謝し、できることを担います。

​前回の説教概要

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