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2025年5月4日 礼拝
説教概要
恵みの食卓をともに囲む
小泉智師
ガラテヤ書2章11節ー14節
アンテオケ教会はユダヤ人と異邦人がともに信仰生活を送る教会です。この教会にペテロがやってきます。彼は異邦人と交わり、食卓を囲みます。ユダヤ人が今まで戒めで禁じられていた食べ物を口にもします。彼はそれ程自由で開放的な人物だったわけです。
ところがペテロは態度を翻します。異邦人との交わりから身を引きます。割礼を重んじる人々の目を恐れたのです。プレッシャーに負けたのです。何が正しいかはわかっている。しかし自分の信じてるままに行動ができず心にもないことをしてしまう。私たちにもそういう重圧に弱い時があるかもしれません。
ペテロの態度を見たバルナバまでもがいっしょになってその偽りの行動に引きずられていきます。首尾一貫しない姿勢には悪影響があるのです。周囲の者をも巻き込んでいく可能性があるからです。
パウロはこういうペテロを面と向かって非難します。あなたはそもそもユダヤ人の慣習から自由になりいい意味でユダヤ人らしくない生活をしてきた。それなのに異邦人信徒にユダヤ人の習慣を強要するのか。パウロがこれを語るのは、今ガラテヤ教会がユダヤの習慣である割礼を強いられているのと重なったからです。これを許容すれば教会の一致が崩れてしまうのです。
長年の習慣から自由になるのはなかなか難しいと言わざるを得ません。困難さの理由は福音の真理についてまっすぐ歩もうとしない点にあります。しかし少なくとも福音の指し示す方向に歩みたい願いを持つことはできるでしょう。なかなかそうなれない自分を嘆くこともできます。それを祈り続けさえいるなら、聖霊が必ず助けて下さり、一歩ずつ前進させて下さるに違いありません。
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