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2025年3月23日 礼拝
説教概要
自分を確かにするもの
小泉智師
ガラテヤ人への手紙4章18節ー24節
パウロは3年後、ペテロに会ったと述べます。エルサレム教会の重鎮に会い、主の兄弟ヤコブにも会う。新人のパウロにとって心躍る体験でしょう。彼らは信仰の先輩でもあるし、有名人です。
信仰の交わりは大切です。しかし、パウロはわたしはペテロによって変えられたとは言いません。ひとり、主と交わり、召しを確認し、福音によって確かにされていった。パウロを変えたのは人などではない。キリストです。この方だけが人を変えます。
もっとも使徒の名を出すのは、少なくともパウロは彼らを意識してでしょう。或いは自分の弱さを知ってかもしれない。人にとりいる自分。人に媚びる自分。人の言いなりの自分。是を是を言えずよく思われたい自分。交わりには誘惑もある。相手がビッグネームであればなおのこと。自分を確立していない以上、その弱さが出てしまうこともあり得ます。
福音は人を自立させます。相手が誰であれ、是は是、否は否とする。彼は神の御前で生きる意識があるからこそ、あの有名人と仲良くなれば、自分の伝道者としてのキャリアに箔がつくという理屈を退けます。
人に媚びる者は、最終的に自分を誇ります。力ある者にゴマをすり、誰かを蹴散らしてでも自分がのし上がろうとするでしょう。自分の信仰談であれ、神を賛美するのではなく、自分を賛美するストーリーにすり替えてしまいます。ほめたたえられるべきは神だけです。
私たちは徹底してひとりになって、祈りとみ言葉の中で神と向かい合わないといけません。ただ福音によってのみ、変えられないといけない。今のわたしにしたのは主だと言える者だけが、福音を証しすることができるのです。
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