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2025年1月1日 礼拝
説教概要
聖霊とともに宣教する
小泉智師
ルカによる福音書24章44節ー53節
復活の主イエス様は、律法と預言者と詩編について説かれます。今日の旧約聖書。ここに書かれている中心はキリストの罪の贖いと復活です。ただし、罪の赦しを悟るために主自身に心を開いていただく必要があります。礼拝で聖書が開かれる時、復活の主が、私たちの心を開いてくださいます。私たちは一年を通して聖書に聞く歩みを目指したいものです。
キリストの受難と復活によって罪を赦しを得させる悔い改めがあらゆる国に伝えられます。私たちはこれらの証人です。それは私たちの単なる熱情や力量で成し遂げられません。その程度の力であるなら、いつか潰えてしまいます
悔い改めとは向きを変えることなのです。走りながら向きを変えられません。すべての動きをストップさせてとどまる必要があるのだと主イエスは告げられるのです。都にとどまるとは、主の約束にとどまることです。あらゆる働きを止めて、主の前にひれ伏すことが最優先です。
その時にいと高きところから力を着せられるのです。明らかに聖霊の満たしを指します。聖霊とは宣教の霊なのです。しかも預言者エリヤからエリシャに働きが継承されたように、ここでは主イエスから弟子たちに宣教の働きが引き継がれていくのです。イエスの霊である聖霊が原動力となって、私たちを証人として用いてくださいます。
そのために主イエスは祝福の手を上げることをお止めになりません。最後まで何度も祝福されます。現代も主の祝福は礼拝の祝祷という形で生きています。祝祷とともに私たちはこの世界に派遣されていきます。私たちの働きを通して世界が祝福される約束がここにはあります。宣教の聖霊とともにこの1年も出かけてゆきましょう。
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