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2025年11月2日 礼拝
説教概要
価値のある人生
小泉智師
ヨハネの黙示録14章13節
召天者記念礼拝で開かれた聖書から聞こえてくるのは「幸せの宣言」です。聖書は、人がどのようにして本当の幸せに生きるかを語る書物です。天からの声が「これを書き記すようにに」と命じているのは、人が日々の生活の中で心すり減らし、何が本当の幸せかを忘れてしまいがちだからなのでしょう。
そうは言っても「死が幸い」と言われると、抵抗を覚える人も多いでしょう。ご不幸があったという言葉にもあるように人の死は悲しみでしかない。しかし死が単に悲しみで終わらないのはひとが決して一人で人生を終えるのではないからです。死においても共にいてくださるキリストがおられる。死の瞬間においても死後も、キリストが寄り添い続けてくださるという約束があるからです。死んで復活された方がご一緒なのです。
天からのこの宣言を信じることができるように、神の霊が私たちの心にも語り掛けて励ましてくださるというのです。それではこの励ましの中身はなんでしょうか。人生にはあまりにも苦労が多い厳しさに向けての慰めだと言っていいでしょう。自分の人生はなんだったのかという問いほど虚しさを感じさせるものはありません。
しかし、神は、人生の労苦を知り抜いておられます。さまざまな試練や困難に耐え、人生の道を走り抜いた人に、安らぎが与えられると約束されます。たとえ誰からも報われなかったとしても、神はその人の歩みをすべてご覧になり、忘れられることはありません。
それがたとえ小さな行いであっても、神のまなざしの中にしっかりと覚えられています。だからこそ、私たちも何があっても絶望せず、神に覚えられていることを信じ、愛と感謝をもって希望のうちに今日を歩んでいきたいのです。
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