2025年2月2日 礼拝
説教概要
時間を巻き戻す神
小泉美早子師
マタイによる福音書2章13節ー23節
どういう子ども時代を送ったか。そこにその後の人生が透けて見える場合もあります。幼子イエス様の場合は、夜逃げ同然の逃避行を味わいました。しかもエジプトへの長旅で難民生活を強いられるとは。これは父ヨセフが天使のお告げで、ヘロデ王が幼子のいのちを狙っていると知ったからでした。ここで無理に立ち向かうのは賢明とは思えません。渦巻く疑問を飲み込んで妻と我が子をなんとしても守りたいヨセフの責任感が読み取れるようです。
私たちの人生も逃げるが勝ちという場合もあります。何も、自分の力がどこまで持ちこたえられるかひとつ試してやろうなどと妙な気持ちを起こすことはありません。ただでさえ苦労の多い人生。避けられるはずの苦労を我慢する必要がどこにあるでしょうか。神様は決して無茶を勧めるようなお方ではありません。時には身を引き、身を潜め、神が導く逃げ道へと身を寄せることは人生の智恵深さなのかもしれません。
案の定、怒りに狂ったヘロデ王はベツレヘムとその付近の男の幼子をみな殺しにする行為に出ました。小さい村の子どもの数など数えるほどだったでしょう。権力者とはなんと残酷で身勝手でしょうか。古代に限りません。人の罪の暗闇が深まるところ、エレミヤ書にある母親の嘆きは今も世界中で起きているではありませんか。だからこそ、この罪深い世の悩み、痛み、苦しみを背負うためにお生まれ下さったイエス様に光を見出すのです。
いいえ、他人事ではありません。私たちも誰かの罪に苦しめられます。また自分の罪にもがき苦しみます。ひとりでこれを抱え込んで耐えろと言われたならば、気が滅入ってしまうでしょう。しかし、イエス様はあなたの人生の苦しみごと背負うと約束して下さるのです。そのためにこの暗闇のおぞましい世界に飛び込んできて下さったのです。それを信じるだけで心の中に光が灯るようではありませんか。
とは言え、幼子イエス様がしていることはあちこちに引越しを繰り返し、こそこそと権力者から逃げ回っているだけのようにも見えます。しかし、エジプトからイスラエルへという道のりは、かつてのイスラエルの民のエジプト脱出劇と重なります。まるで時間を巻き戻し、失敗したイスラエルの過去の足あとを一歩一歩踏みなおすようにして、イエス様は苦労をなさいます。だから、この方は倒された切り株から、再出発されるナザレ人と呼ばれるのです。
私たちも過去を悔やみます。あの時の失敗。あの時に言ってしまったこと。若い頃の不義理。しかし、主は私たちの人生を背負うと約束されます。それは私たちの今だけでなく、将来だけでなく、過去まで背負うと請け負って下さることなのです。主は私たちが犯した過ちの足あとをひとつひとつ消し去るようにして、私たちの汚点を踏み直して下さいます。時間を治める神は手のだしようのない過去まで見事に整え直して下さるのです。