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2026年1月4日 礼拝

説教概要

​信じあえる世界

小泉美早子師

マタイによる福音書5章33ー37節

私たちの日常は、人と人との信用によって成り立っていて、約束や言葉が軽んじられるなら、社会そのものが崩れてしまいます。十戒の「偽証するな」は、人間が人間らしく生きるために与えられた普遍的な戒めであり、裁判の証言や選手宣誓、子どもの指切りげんまんに至るまで、約束の重さは文化の中に刻まれてきました。

 

 教会はとりわけ言葉の告白を大切にする共同体です。洗礼、結婚、役員就任、主の祈り、使徒信条など、信仰は自分の言葉で神様の前に告白されます。それを形だけにするなら、信仰は堕落し、神様への敬いも失われてしまいます。人の言葉を信じられなくなると、やがて神様の言葉さえ疑うようになり、福音そのものが信じられなくなる危険があります。

 

 当時の人々は、天や地、エルサレムを指して誓うことで、守らなくてもよい抜け道を作っていました。イエス様はそれを厳しく戒めて、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と語られました。人は不誠実で弱く、自分の力では約束を守れない存在です。しかし、いのちも人生も神様のものであり、神様の恵みと聖霊の働きによって、私たちの不完全な言葉さえ真実へと引き上げられていきます。

 

 イエス様は十字架で不真実な人間の罪を背負われ、信じる者を新しくされました。聖霊に支えられた誠実な言葉と生き方こそが、福音を運ぶ「足」となります。信じあえる世界は、宣教が根づくための土壌であり、日常の一言一言が良い知らせを伝える器とされていくのです。こうして私たちは、家庭や職場、地域に遣わされ、語る言葉と生き方の両方を通して、神様の真実を証しする者として歩むよう招かれています。

​前回の説教概要

©2023 by 岡山神召キリスト教会

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