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2024年10月6日 礼拝
説教概要
記念日を覚えて
小泉 美早子師
詩編11篇
詩人は主なる神への礼拝に参加し、神のみわざを尋ね窮めることに無上の喜びを感じています。そこは正しい者の集いであり、神を喜び賛美する会衆の共同体との一体感、連帯感の中に身をおいていることで、ともに集う喜びが礼拝にはあるのです。それは決してひとりでは味わえないものです。
そもそも礼拝とは神の御業を記念する行為です。だからここでは出エジプトの出来事、荒野で主が下さったマナ、シナイでの契約、カナンでの土地取得と神のわざを振り返っています。更には バビロン捕囚からの解放も重ねられているのでしょう。礼拝とは神がなされたみわざを繰り返し、語り伝えていくことです。
私たち、新約の礼拝の民にとっては、キリストの十字架と復活による救いを記念する行為として礼拝が捧げられます。賛美にもみ言葉にも証にも十字架の血が注がれています。私たちも主の恵みを繰り返し胸に刻み、将来にわたって語り伝えていくのです。
真実、公平さ、正直、聖さといった神の御性質が神のなされたみわざの中で明らかにされていきます。このご性質によってわかることは主なる神が信じるに値するお方であるということでしょう。それこそが知恵の始まりであって、人はそこから良き悟りを得るのだと詩人は宣言するのです。
世の中には様々な知恵が満ちてはいます。しかし、主に礼拝を捧げることこそ、人として知恵の始まりなのだと覚えましょう。 礼拝においてみ言葉が開かれる時に、今まで気づかなかった悟りが与えられます。賛美がささげられる時に主の偉大さに改めて目が開かれていきます。礼拝こそ人生をよりよく生きていくための鍵です。主の御業をどこまでもほめたたえ、語り伝えましょう。
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