2021年10月3日礼拝会

説教概要

「福音に生きる」内川寿造牧師

ピリピ人への手紙1章19節~30節

 ピリピ人への手紙に通底するのは「喜び」であるが、それは福音に生きる者に共通する。

 「福音」はよろこびのおとずれであり、人生の目的を与えられた喜び、罪ゆるされた喜び、永遠の生命を得た喜び、日々の必要が満たされる喜び、数えれば感謝があふれて来る。

 福音にふさわし生活とは何だろう。
 第一に、価値観を明確に自覚することである。パウロは「生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストの素晴らしさが現わされること」(1:20)を念願している。人生の目的は「神の栄光を現わす」の一言に尽きる。ここにはパウロの死生観も吐露されている。「生きるはキリスト、死ぬこともまた益です」(1:21)
 死はキリストと共にいる事なので、生よりも望ましいが、生きることは「あなたがたの信仰の進歩と喜びのために」(1:25)役立ち、実り多い働きをもたらすので、生と死の板挟み状態である。生か死かの二者択一ではなく、ただキリストの素晴らしさが現わされる事を求めている。

 第二に、共に奮闘する仲間を意識する。1:19~30では、六回繰り返し「あなたがた」と共に祈り、共に信仰の進歩を励み、共に戦い、共に福音のために奮闘していると記し、聖徒の交わりを喜んでいる。ローマの獄中で一人苦労しているのではない。祈り、祈られている実感は何と心強いことだろう。
 キリスト教は二人連れ、神と二人連れ、人と二人連れである。共に集い、共に歌い、共に礼拝する教会の兄弟姉妹がいる。同じ岡山市内の教会、日本中、世界中に神を信じ、福音の前進のために協力する仲間が無数にいるのだ。

 

 第三に、キリストのための苦しみを賜物と受け取るのである。私たちには二つの賜物)(プレゼント)が与えられている。
 ①キリストを信じる信仰の賜物。自分で主体的に信仰を告白した面はあるが、神によって信じる恵みが与えられたのも事実である。親子が手をつないで歩いているのに例えられる。
 ②キリストのために苦しむ賜物。自分の失敗や怠惰が原因で病気になったり、立場を失ったりするような種類の苦しみではない。それは自業自得である。十字架を負ってキリストに従う時に味わう苦しみである。神と人に役立ち、仕えようとする時、時間をささげ、心をささげ、財をささげる。その苦労は賜物なのだ。何故なら、その苦しみは大きな喜びになるからである。十字架の先に栄冠がある。