top of page

2024年9月15日 礼拝

説教概要

責任を負う神様

小泉 美早子師

詩編110篇

 元々これはイスラエルの王の即位の儀式に際して預言者が語った預言的な歌です。即位する新しい王は神の右に座します。ここでは王の個人的能力や力量や手腕などは一切、問われません。ただ神の権威が王を立てたことだけが重要であり、どんな困難があろうとも働きを達成する力も賜物もただ主から与えられるのです。

 

 古代の世界では治めると言うと、暴力による支配と表裏一体でした。しかし、ここでは王はメルキゼデクの位に従って永遠の祭司だと言うのです。祭司は全世界を視野に諸国の諸王のために祈る存在です。ということはこの祭司の支配の前ではあらゆる諸力が無化されてしまうのです。決して力による支配が賛美されているわけではないのです。価値観の逆転がここでは起こっています。

 

 私たちもキリストにあって聖なる祭司とされました。神の国は祭司の国なのです。ということは私たちは暴力や暗闇が支配しているように見える、この現実の世界で神を礼拝するために召し出されました。と同時に、広く世界のために祈ることが私たちのつとめとして主から委ねられています。主なる神を証し、福音を告げ知らせること。それこそ祭司としてのつとめだと言えます。

 

 祭司であり王でもある者に対する約束は、主がその人の右におられるということです。最後までつとめを果たすために必ず主の助けと支えが与えられると言うのです。その働きに困難が伴っても、その人は道のほとりの川から汲んで水を飲むというのです。

 

 長い人生の中で、私たちにも覚えがあるのではないでしょうか。困難を覚える時に、主の助けと支えとしか思えないような体験をして励まされたことが。あるいは、行き詰まっているようにしか思えない状況の中で思いもよらない心の平安が与えられ、再び立ち上がる力が与えられたことが。主はつとめを達成する力と助けを与えると責任を負って下さるお方です。

​前回の説教概要

bottom of page