2024年9月1日 礼拝
説教概要
美しい怒り
小泉 美早子師
詩編109篇
礼拝ではよく交読がなされます。詩編109編は交読には向かないでしょう。別名呪いの詩編とも呼ばれているからです。それほど、詩人の怒りや憤りが熱くまっすぐに発せられています。怒りを神に向けるならば、正しい選択をすることができると信じているからです。
私たちも日常生活の中で怒りを感じる場面はあるでしょう。怒りは神が人間に与えて下さった大切な感情のひとつなのです。怒りの感情がかえって慰めや力となることもあるのです。問題は怒りをどう取り扱うかです。怒りが暴走してしまわないためにも、私たちは感じているありのままを主にお伝えする祈りが求められているのではないでしょうか。
祈りの中で怒りの対象は相手本人だけでなく、相手の家全体です。別の角度から言うと、それだけ強烈な言葉を出さないといけないくらいに彼は傷ついているのだとも言えます。
同時に詩人は断食をしています。明らかに命のエネルギーの減少です。まるで苛立つ心を鎮めて、熱くなりがちな思いをクールダウンさせるように。その分自分の思いを主にゆだねるのです。相手を赦すという言葉は一言もありません。ゆるしがあまりにも簡単に語られることは人間の感情としては無理があり矛盾だらけで違和感があるのです。ゆるしの強要など出来ません。自分の思いを主にゆだねる。それだけでとりあえずは十分なのです。
その代わりに詩人は主を賛美します。私を祝福するのは主よ、あなたです。私を弁護して下さるのもあなただけです。祈りの中で主の優しさに触れて、回復していく姿がここには見られます。心が祈りに向かう時、主が怒りで燃え尽きないように助けて下さいます。主が傷ついた私たち、怒りの感情を持て余し気味の私たちを優しく取り扱って下さいます。そこに主の慰めがあるのです。