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2024年8月25日 礼拝
説教概要
しもべとして生きる
小泉 智師
テモテの手紙第一6章1節ー2節
ローマ帝国は奴隷社会でそこから信仰を持つ者も少なくありませんでした。主人が信仰をなくても尊敬して仕えるように。聖書は奴隷制度に賛成なのでしょうか。差別を助長するのでしょうか。
いいえ。現実対応なのです。いきなり奴隷解放運動を始めても、社会は混乱し解放された奴隷も路頭に迷うだけです。むしろ忍耐強い神は何世紀もかけて奴隷制度撤廃に至る歴史を導かれるのです。
神の御名と教えが冒涜されないように主人を尊敬する。人は信仰を持たない理由を探しています。あの人は信仰者だが、仕事はいい加減で適当だと評価されると、神を信じない理由が増えてしまう。
そうではなくて、働きぶりを通して、神はいるかもしれないとインパクトを与える生き方に召されています。
宗教への風当たりが強い現代は、私たちは余計につまづきを与えてはいけません。社会によき影響を及ぼす者として神に期待されている。私たちが神に仕えるように召された場所は職場です。仕事人間にまでならずとも、決して教会だけが神に仕える場ではないのです。
一方、主人も奴隷も信仰者である場合もあります。主にある兄弟姉妹なのだからもはや奴隷も主人もないでしょうと、変な甘えや馴れ合いを起こしかねません。これくらい愛を持ってゆるされるだろうと不忠実さや礼を失する態度から主人への尊敬が薄れ、軽んじる。そうならないようにますます熱心に仕えなさい。
どんな人生を歩もうと、私たちはしもべです。仕事をリタイヤしてもしもべです。仕えられるのではなく仕えることを目指します。優れた賜物も人を支配するためなら空しい。賜物は神と人とに仕えるものだと、わが身を差し出します。
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