2022年8月21日礼拝会

説教概要

律法の真の役割

長谷川忠幸牧師

民数記 6章1節~21節

 福音書を読むとき、律法学者の聖書解釈の一つの傾向に気付く。彼らは、律法に記されている聖なる生活とは、穢(けが)れた者を徹底的に遠ざける生活だと考えているのである。
 
 しかしながら、これは律法学者に限ったことではない。多くの宗教人は同じ傾向で聖典を解釈する。即ち、神を信じるということは、神を信じていない者を排除するこことで、神を信じる者だけの世界を実現させようとするのである。
 その証拠に、熱心に神を信じる者に限って、隣人の罪を許さず、過ちを犯した者を共同体から排除しようとするのである。

 ところが、聖書の教えは、律法学者を始め、多くの宗教人が考えるものとは逆のものであることに気付かなければならない。

 聖書の教えは、かえって罪の穢れの中にあるものを神の御もとに招き入れ、御言葉によってその穢れを清め、神の民として数えることを目指しているのである。御言葉は、罪人を排除するためにあるのではなく、罪人を神の御もとに近づけるためにあるのである。

 主イエスは、まさに神のロゴスである。彼は、十字架の血潮によって罪の穢れの中にあった私たちを洗い清め、聖なる神の御もとに招き寄せてくださるからである。
 私たちは、主イエスの弟子として、御言葉をもって隣人を主の御もとに招き入れる聖なる生活を実現すべく、今日も新しい信仰を祈り求めよう。