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2024年7月14日 礼拝

説教概要

かたよりみないで

小泉 智師

テモテの手紙第一5章19節ー22節

パウロは長老が教会で訴えられる際の注意を促します。複数の証人なしに、受理してはいけない。訴えが真実かを慎重に見極めないといけません。身に覚えのないことで批判され、み言葉に基づく指導が逆恨みをかうこともあるからです。

 

主イエスを筆頭に、批判の矢面に立たされなかった奉仕者が聖書にひとりでもいたでしょうか。クリスチャンはどこかから批判されるのです。口車に乗って、批判を助長させてはなりません。誰かへの不当な批判が回って来た時は自分のところで止めるくらいの気持ちで相手を守ったほうがいいのです。

 

罪を犯している者とは一般論ではありません。長老が福音ではない誤った教えを信じ、語る過ちは見過ごすなということです。人前で責めるのは何が福音であるのかを教会全体で共有するためです。その成熟さが求められています。

 

親しい関係だから手心を加えて多めに見よう。あの人とは性格的に反りが合わないから厳しく扱おう。これは誘惑です。人間関係だけで人を偏り見てはいけないと釘を刺されています。教会に教会規則が整備されるのはそのためです。

 

そもそも、長老を按手して働きにつかせようとするときに、安易に勤めに就かせてはいけません。なぜなら、教会にみ言葉を語る奉仕の責任は重いのですから、軽々しい按手は避けるべきです。慎重には慎重のうえで、任命することが求められています。ふさわしくない者を任命するなら、任命した者にも責任が及ぶからです。

 

献身者不足を理由に数合わせのような安易な献身があってはなりません。み言葉が正しく語られる成熟さ。み言葉に素直に聞き従う成熟さ。これが教会形成の鍵なのです。

​先週の説教概要

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