2025年7月13日 礼拝
説教概要
柔和な者は幸い
小泉美早子師
マタイによる福音書5章5節
イエス様が語られた「柔和な者は幸いである」という言葉は、単なる性格の穏やかさを意味するものではありません。ここで言う「柔和」とは、神への従順と信頼に基づいた生き方、自分の力や怒りに頼らず、すべてを神に委ねて生きる信仰の姿勢です。柔和とは、無気力や弱さではなく、神の力と正義にすべてを委ねることによって生まれる、霊的な強さを指しています。イエス様ご自身がその模範でした。王でありながら軍馬ではなくろばに乗ってエルサレムに入城されたお方、十字架の苦しみを前にしても沈黙を守られたお方です。その柔和さは、神への絶対
的な信頼と、他者の罪をも背負う愛から来るものでした。私達もまた、同じ柔和さをもって歩むよう招かれているのです。しかし、私たちは日々の生活の中で怒りや苛立ち、自己主張に 支配されやすく、柔和に生きることの難しさを痛感します。その ため、柔和は人間的努力だけで実現できるものではなく、聖霊の助けが不可欠です。柔和はガラテヤ5章で語られる「御霊の実」の一つであり、神との関係の中で徐々に育まれていく性質です。
また、「柔和な者は地を受け継ぐ」とある「地」とは、ただの土地ではなく、神の国、すなわち神が用意された永遠の祝福と安息を意味します。詩編37編にもあるように、悪が栄えて見える現実の中でも、神に信頼し、主を待ち望む者にこそ、最終的な勝利と祝福が約束されているのです。柔和とは、自分で戦おうとするのではなく、神に信頼して静ま
り、神の時を待つ信仰の態度です。それはイエス・キリストにつながり、聖霊に導かれることで少しずつ実現していくものです。イエス様が私たちの重荷を背負ってくださっているからこそ、私たちもまた、主に結ばれて柔和に生きることができるのです。その柔和さの中にこそ、神が与えてくださる真の幸いがあるのです。この世の混乱や理不尽さの中で、怒りや不安に駆られることもありますが、私たちは、主の柔和さに立ち返り、御霊に導かれて
主を信頼し、沈黙して主を仰ぎ見る者となりましょう。柔和な者は、神の約束された地、祝福された永遠の命を受け継ぐのです。