2021年7月11日礼拝会

説教概要

「他者の弱さを担う」内川寿造牧師

ローマ人への手紙15章6節

 15章の冒頭で使徒パウロは「私たち力のある者は」と語る。14章でも「強い者」と「弱い者」の対比があったが、ここでは自分は「強い者」と自覚している。


 キリスト者は自分を「弱い者」と思い、神のゆるしと助けを求める場合が多い。何故、「強い者」と言えるのか。強い者とはどのような意味か。
 1節後半に答えがある。「力のない人たちの弱さを担う。」2節では更に分かり易く、「隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となる。」のが「強い」の中身である。

 他者の弱さを担うことは、キリストの本質と御業に根ざしている。「担う」とは「背負って運ぶ」ことだが、まさに十字架を指している。詩篇69篇メシヤ受難の詩が引用されているが、神に対する人々のそしりと嘲りを一身に受け、その罪のさばきを十字架で受け、ゆるしを与えて下さった。ゆるされた私たちは、次に誰かの弱さを担う者に変えられる。

 このような意味の「強さ」と対照的なのが、「自分を喜ばせる」弱い生き方である。ゆるされ、救われたことに満足し、自分一人の幸せで終わってはならない。聖霊の満たしや異言で祈ることも、「自分を喜ばせる」だけで、他者への配慮や、愛の実践が伴わなければ自己陶酔で空しい。

 使徒パウロは「異邦人のためにキリストの仕え人となり」(15:16)エルサレムからイルリコまで、福音をくまなく伝えることで「弱さを担う」実践をした。その際、心がけたのは「他人の土台の上に立てない、福音の未伝地を目指す」(15:20)ことだった。パウロの誇りと開拓者魂が吐露されている。その結果、ユダヤ人も異邦人も全人類に福音が伝わり、「心を一つにし、声を合わせて、父なる神をほめたたえる。」(15:6)理想が実現するのである。


 黙示録には、全世界から集まった群衆が、白い衣を着てしゅろの枝を振りながら大声で賛美する光景が描かれている。毎週の礼拝は、その「ひな形」であり、先取りである。

 聖書には「祈り」よりも「賛美」の記事が多い。礼拝の賛美は、
①する賛美である。感謝に溢れて私が率先して歌うのである。
②一緒の賛美である。一人大声で目立つのでも、一人聞くだけで口を開かないのでもなく、声を合わせて歌う。
③ささげる賛美である。神への唇のささげものだから、歌詞を味わい、顔を上げて、一生懸命歌おう。

 「自分を喜ばせる」姿勢から、「隣人を喜ばせ、その徳を高める」生き方に少しずつ転換しよう。