2022年7月10日礼拝会

説教概要

取税人のマタイ

内川寿造牧師

マタイの福音書 9章9~13節

 マタイは12弟子を紹介するとき、自分を「取税人マタイ」と書き、蔑称を肩書に付ける。マルコ3:16やルカ6:13の並行記事には単に「マタイ」とだけ書かれている。


 何故、わざわざ自分を「取税人マタイ」と呼んだのだろう。恥ずべき過去を隠さず、神がわが身になされた恵のわざを証しするためであった。
 当時の取税人が嫌われ、通常の付き合いを絶たれていた理由は三つある。
①敵国ローマの手先となり、同胞から重税を取り立てる売国奴と見られていた。
②請負制なので、定まった額以上を徴収し、その差額をポケットに入れて私腹を肥やすケースが多く、道義的に許せなかった。
③宗教的な理由。モーセの律法を破る者として、「取税人・遊女-罪人・羊飼い」は一括りに「穢(けが)れた者」と扱われていた。


 そのマタイがイエスと出会って人生が一変した。
(1)座っている人生から立ち上がって新しい一歩を踏み出した。
 座っていれば、安定した生活は保証された。しかし、満足がない。生きる意味も分からない。「わたしについて来なさい。」単純だが、決定的な力を持つ招きである。マタイは心を揺さぶられ、立ち上がった。
 決断に至った理由は大きく二つある。
①イエス・キリストの眼差し。
 「イエスは、レビという取税人に目を留めて」(ルカ5:27)じっとマタイの心の中まで見抜いた。先行する主イエスのご意志が、マタイを選んだ。「わたしの目には、あなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ:43:4)
②マタイ自身の内面の求め。
 レビは誇り高き祭司の血統なのに何故取税人になってしまったのか。マタイは変化への期待、向上心、納得の行く生き方への求めがあった。
(2)奪う人生から与える、仕える人生に変わった。
 マタイとは「神の賜物」との意味。家庭を解放し、大盤振る舞いのご馳走で、主イエスや仲間の取税人・罪びとをもてなした。特に彼が読み、書き、計算出来る、記録能力が生かされ最も整理・編集された福音書を世界に残した。


「わたしについて来なさい。」私たち一人一人に常に語りかけられている。
 マタイのように立ち上がって従おう。そこから思いもよらない祝福の道が開かれて行く。