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2023年7月9日 礼拝

説教概要

私を強くして下さる主

小泉 智牧師

テモテへの手紙第一1章12~14節

難問続きのエペソ教会で伝道者テモテは沈んでいます。自分はパウロのようにはいかないと苦しみもしたでしょう。しかしパウロは言います。私も決して強くはない。私を強くして下さるのはあくまでも主イエスなのですと。福音に忠実であろうとするなら、誰であろうと主はその人を必ず強めて下さる励ましがここにはあるのです。

 

従ってパウロはかつての自分を赤裸々に打ち明け始めます。神を汚す者だった自分。迫害者であった自分。暴力をふるう人だった自分。いいところだけ見せようとはしない。裏も表もあますことなく伝えるのです。悪の自慢ではありません。そういう自分に神のあわれみがいかにして働き、救われ、使徒としての立場に立ったかを証したくてたまらないのです。

 

私たちも信仰が与えられる以前を振り返ってみてもいいでしょう。自慢できるものなど何もない。むしろ自分の最も罪深い闇の部分に神のあわれみが働き、救われたのですと言うほかないのではないでしょうか。自慢話などまったく心には響きませんが、こういう証なら、誰かの心に響くでしょう。弱っている誰かを励まし、主を信じたいと思う人を起こします。

 

しかも恵みは現在進行形です。私たちはずっとキリストイエスにある状態だからです。そこから信仰と愛が絶えず供給され続けます。与えられ続けるのなら、自分のうちだけに留めておくことなど無理です。ますます満ちて、外へと溢れていくことでしょう。自分を強めるだけではなく、こぼれ出して誰かを励ますのです。誰かを立ち上がらせるのです。

 

弱さを覚えるすべての人は、自分はキリストイエスのうちにあるのだということに目を開きたいのです。人と比べて落ち込む必要はどこにもない。福音に忠実に歩もうとするなら、キリストの力にどこまでも強められていくのですから。

前週の説教要約​

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