2021年6月20日礼拝会

説教概要

「見ないで信じる」北澤成弘牧師

ヨハネの福音書4章46~54節

 ある一人の父親が登場します。彼の息子は病気で危篤でした【46~47節】。父親は主イエス様に助けを求めましたが【47節・49節】、主イエス様は突き放すような言葉を投げかけました【48節】。主イエス様は父親に「信仰」を教えられたのです。

①奇跡の目的 【48節】「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」
 主イエス様は、神の子としてのしるし、人が不思議と思えるような奇跡をなされました。時に病を癒し、悪霊を追い出しましたが【2章23節】、人々は主イエス様の奇跡の意味を取り違えていました【4章45節】。つまり、人々は主イエス様の奇跡が目当てになっていたのです。この時の父親も同じでした。そのような父親に主イエス様は「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」と言います。つまり、もし主イエス様が奇跡を現さなかったならば、主イエス様を神の子と信じることはないでしょう、と皮肉を言っているのです。――――主イエス様は、奇跡を現すことが目的ではありません。主イエス様がなされるしるしと不思議を通して、本当に主イエス様は神の子救い主であることを示していくことが目的です。

② 信仰とは「何も見ずとも得ずとも」主イエス様に従うこと。 【50節】「イエスは彼に言われた。『帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。』その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。」
 主イエス様は、奇跡だけを目的としていた父親の信仰を導きました。それは、男の目の前で奇跡を起こすことなく、主イエス様は息子の病を癒したのです。父親は、目の前で癒しの奇跡を見て納得したから帰ったのではありません。まだ奇跡を見ずとも、主イエス様の言葉を信じて帰ったのです。――――信仰というのは、「まだ何も見ていない」「まだ何も得ていない」だけど主イエス様が言われることだから従っていく、そして主イエス様の言葉を信じて一歩踏み出していくことが信仰です。まず父親が主イエス様の言葉に従ったように、私たちも主イエス様の言葉に従っていきましょう。主イエス様は、そのような信仰を大いに祝福してくださいます。この父親の家族全員が救われたように、自分の周りに救いが広がり祝福が広がることを信じましょう。