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2024年7月7日 礼拝
説教概要
驚く恵み
小泉 美早子師
詩編105篇
詩編105篇は神の家族の物語、救いの物語です。1人のアブラハムから始まります。小さい、数に足りないよるべなきさすらい人。しかし神は永遠の約束をもって、彼と子孫を守られます。それどころか油を注ぐのです。神の物語は小さい所から始まります。
もしも希望があるとするならば、神は変わることなく彼らの神であり続けたということです。当時、神と呼ばれる存在が奴隷の神にまでなって下さることはありえないことだったのです。神々とは特権階級を庇護する存在。裕福な者を寵愛する存在。しかし聖書の神はそういうお仕着せのストーリーには目もくれず、国の中の最も小さくされた集団に光をあてるのです。まるで常識的な価値観に異を唱えるように。対抗文化を生み出すように。
神の民が語らう時、単純な成功物語の占める位置はない。私たちの過ぎ越しであるイエス様の十字架を見上げる以上、自分たちが罪の中から救われたことは世の中の間違った価値観にノーを突きつける対抗文化の中に召しだされたことをこそ喜ぶのです。ただされるのは弱肉強食社会であれ、経済至上主義であれ高度消費社会であれ。自慢話ではない。過去の美化でもない。ただ神の憐れみをこそ語るために教会は立ち、神の民は生かされています。
私たちは永遠の神の契約をこそ語りましょう。われらが滅びなかったのは神の恵みによると語りましょう。それどころか空しい間違った社会通念に背を向け、むしろ対抗文化の物語に生き、神の国の完成に望みをおく、壮大なストーリーの登場人物とされていることを喜びましょう。
それはたとえ小さいところから始まろうと、今なお生き生きと進んでいることなら、いくらでも証しし呼びかけるのです。あなたもこの物語の登場人物になりませんかと。
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