2021年6月27日礼拝会

説教概要

「待ち望む」北澤成弘牧師

詩篇42篇

 詩篇作者は、かつて礼拝で神を褒め称えることが出来ていた喜びと感謝、大いに恵まれていた日々を思い返していました(4節)。

①嘆きの詩
 作者が置かれていた状況が一変しました。「ヨルダンとヘルモンの地」、また「ミツァルの山」(6節)というのは、当時からしてみると辺境の地を意味しています。理由はわかりませんが、作者は辺境の地に追いやられてしまったようです。今まで、当たり前のように捧げられていた神への賛美、祈り、礼拝が捧げられなくなってしまったのです。つまり「神の祝福」が感じられない環境、「神の恵み」に与ることが出来ない状況に置かれてしまったのでした。しかも、作者が置かれた場所は、周りに神を信じる人がいない土地柄でした。その場所では、自分の信仰がけなされている様子すら伺えます。ここには信仰を励まし合える友が居ない。この詩篇作者は「信仰の孤独」を覚えていたのでした(3節、10節)。詩篇42編は「嘆きの詩」と言われています(2節、9節、5節、11節)。

 

②飢え渇いて神を求める。「わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。」(5節、11節)
 作者は、嘆く中にも神を見上げ続け、飢え渇いて神を求める様子を見ることができます(1~2節)。神を求めても心が満たされず、また主を求めても苦しいまま。主イエス様を求めても心の不安や恐れを拭えないことがあるかもしれません。「私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。」(3節)。しかし、詩篇42篇で最も強調されているのは、それでも神を見上げ、主の御業を待ち望んでいくことです(5節、11節)。

 

③生ける神、命の主
 神は「あなたの神」であり、「私たちの救い」であることが、詩篇42篇の中で何度も語られていることです「私の神よ。」(6節)、「私のいのち」(8節)、「わが巌の神」(9節)、「私の救い」「私の神を」(11節)。どのような試練や困難も、神と自分との間に割って入ることはできません。また、私たちが信じる神は生きる命の源です「生ける神」(2節)、「私のいのち」(8節)。神は私たちに命を与え、心の渇きを満たし、生きる活力を与える「命の神」であることを感謝しましょう。