2022年6月26日礼拝会

説教概要

主の宝の民

内川寿造牧師

申命記 7章6~8節

 今年の私たちの教会の標語は、「5タラントを10タラントに」(賜物の分与と活用)である。偽りの謙遜から、自己卑下して、私は何もできないと思い込んでいないだろうか。それを何もしないことの言い訳にしていないだろうか。
 しかし、何もできない人などいない。タラントの例えでは、5タラント、2タラント、1タラントの相違があるがそれは賜物の分与の意味である。1タラントは、6000デナリ。今の日本円に換算すると、6000万円になる。自分で自覚している以上に多くの賜物が与えられている。
 裸で母の胎を出、また裸でかしこに帰って行くのだから、今与えられているものすべては神の賜物である。生命、時間、健康、仕事、家族、趣味、知識、経験、財産、友人知人、教会の兄弟姉妹,更に、太陽、空気、水。数え切れないほど多くの賜物である。


 自己評価には、相対的評価と絶対的評価がある。相対的とは、他人と比べて自分を評価するので、高ぶったり、落ち込んだりする。
 絶対的とは、神が私をどのように見られるか、と言う意味である。


 今日のテキスト(申命記7:6~8)では、五つの身分、立場が挙げられている。
①主の聖なる民

②主の選びの民

③主の愛された民

④主の宝の民

⑤主が贖われた民

 特に「主の宝の民」は3回繰り返し強調されている。そう語られた背景が興味深い。
 申命記7:1~5では、周囲の七つの民族を聖絶せよ、と命じられている。これは、侵略的行為の正当化ではなく、一回限りの特殊な事情があったからである。つまり偶像礼拝に陥らないためであった。
 次に申命記14:1~21では、穢(けが)れた食べ物と清い食べ物が細かく指示され、主の宝の民としての生き方が勧められている。
 更に申命記26:1~19では、相続地として与えられた乳と蜜の流れる地で収穫した初物や十分の一を祭司の元に持ち寄り、祭司はそれを、在留異国人、みなしご、やもめに分け与えた。それが主の宝の民の務めであった。

 

 旧約のイスラエルは今のクリスチャンである。
主の宝の民には二つの使命があった。①聖書を、②救い主を、世界に送り出す。教会の使命も同様である。