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2023年6月25日 礼拝

説教概要

​いのちの祝福へ

小泉 智牧師

テモテへの手紙第一1章8~11節

律法の教師と呼ばれたがる者たちがエペソ教会をかき回しています。律法が悪用されるのをパウロは歯がゆい思いでいます。だから、反撃の狼煙をあげるように律法とは何なのかを説きあかしていくのです。ここにある悪徳リストはすべてモーセの十戒の戒めに反したもの。その背きの動機に貪りや貪欲があります。貪りは自分を死と破滅に追いやります。相手の人生をも踏みにじり、信仰共同体をも壊していきます。自称律法の教師は律法を説きながら、かえって己の貪りに気づかないのです。

 

これらの貪欲は、律法の教師だけではなく、当時の一般社会によく見られる傾向でした。だからこそ貪りを遠ざけるクリスチャンの生き方は目立っていました。福音に生きるとは時に社会が是とする価値観に抗うこと。生き方で証するのです。祝福に満ちた神は主イエスの福音によって私たちを救い、破滅ではなくいのちへと導きます。

 

律法に照らし合わせる時に私たちの生き方は定まります。たとえば殺すなという禁止命令は積極的に言い換えると生かせということです。神は私たちが相手を生かし、立たせ、励ますように期待しておられるのです。

 

もっともいかに素晴らしい福音でも、伝える者がいないと画餅です。パウロは使徒として自分は福音をゆだねられた者だとの強い自覚と使命感を持っています。パウロからテモテに福音のバトンが手渡されます。現代に生きる私たちも福音が手渡されています。多様化の美しい名の下で何が正しく何が間違いか混迷をきわめる社会。その中で教会に福音がゆだねられています。教会は使徒の伝えた信仰に立ちいのちに満ちた栄光の福音を証ししていくために立たされています。

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