2023年6月18日 礼拝
説教概要
主は将来を創られる
小泉 美早子牧師
エズラ3章1~13節
異国から帰還したイスラエルの民も、ひとりのようにエルサレムに集まって主への礼拝を始めます。まだエルサレムの神殿は再建されてもいません。燔祭は、私たちの全てが主のものですと、主の愛に答えようとする愛が見られます。主の愛を知れば知るほど、私たちはどんな犠牲をも惜しくはないのです。
帰還した民は、エルサレムに集まって主への礼拝を始めます。礼拝があってこそ、神殿の基礎工事も意味を帯びてきます。イスラエルは苦難の連続、歴史の波にさらされてきましたたが、主の恵みといつくしみは変わることがなかったと、心から歌うことができたのです。なぜ、民は大変なところを潜り抜けながら、主の恵みに立てたのでしょうか。それは罪の自覚の深まりによってとしか言いようがありません。
とは言え、神殿の基礎が据えられた時の人々の反応はそれぞれです。老人たちは泣き、若い世代は喜びました。しかし、嘆きも喜びも同じ主に向けられたのであるなら、意味はあるのです。自分はこの程度の奉仕しかできないと申し訳ない気持ちで嘆く人もいるでしょう。かつてはもっと色々なことができたのに。自分の奉仕はこれで精いっぱいだと満たされている人もいるでしょう。神があなたの奉仕を用いる以上、自分の限界以上の結果が必ず与えられると信じることはできるはずです。自分の限界はここまでと勝手に線を引くこともないはずです。主のわざは自分の思いを
はるかに超えるのです。
なぜなら主は将来を創られる方だからです。私たちは現時点のことだけを見て悲しみ、喜びます。しかし、それは大きな主の計画のプロセスの一部にすぎないのだとどこかでわきまえておきましょう。その先があるのです。悲しみはやがて喜びに変えられます。喜びはさらなる喜びへと高められます。私たちが主のためになしたことは無駄ではない。わたしたちの目的地は永遠なのですから。