2022年5月15日礼拝会

説教概要

聖なる生活はだれのため?

​長谷川忠幸牧師(境港キリスト教会)

民数記5章1~10節

 民数記にはいくつかの律法の掟(おきて)が記されている。しかし、それらの掟は、出エジプト記やレビ記に記されているものと似ているようで決定的な部分で異なっている。
 
 民数記は、穢(けが)れを負った者はすべて宿営の外に出すよう命じるが、レビ記では「重い皮膚病を負った者」だけが宿営から出すように命じている。
 穢れを負った者を清める儀式を行うのは、通常は祭司のみである。しかし、民数記では一般のイスラエルの民も加わることを許可する。

 

 何故、民数記の掟は、他の伝統的な律法の掟とことごとく矛盾するのだろうか。結論から言うと、民数記は他の掟と矛盾しているのではなく、他の掟の陥りやすい誤解を是正しようとしているのである。
 例えば、レビ記の穢れの規定を見て、重い皮膚病を負った者が最も穢れていて、他の穢れの者はそれほどではないと理解する者がいるだろう。そして、そのような理解によって穢れを負った者を排除することに務める者が出てくるだろう。
 これは全くの誤解である。神の前では皆罪の穢れを負っており、聖なる神の宿営に留まることは出来ないのである。ただ神の恵みの中ですべての者は主の御前に招き寄せられるということを民数記は教えようとしているのである。

 

 今日も、罪人の命さえも慈しむ主イエスの愛と言う聖なる生活が、私たちの歩みの内に実現するよう、新しい信仰を祈り求めよう。