2023年5月14日 礼拝
説教概要
母の祈り
小泉智牧師
マタイ20章20~23節
ゼベダイの子たちの母が、イエス様のもとに来てお願いします。あなたの御国で息子のひとりをあなたの右に、ひとりは左に座らせて下さい。あなたが王国をお立てになったあかつきには、息子たちにしかるべきポストを。ここまで苦労をともにしてきました。目をかけて下さってもいいではありませんか。
露骨な工作と言ってしまえばそれまでです。しかし親であれば思い当たります。誰だって我が子にベストな人生を歩んで欲しいと望むもので、それの何がおかしいと彼女に共感してしまう私たちがいます。親とはいつだって我が子のしあわせを願いそのためならどんなことだってしますし、なりふりなど構いはしません。私たちも我が子のために神に祈り願うものです。
実際、主も彼女の願いをけしからんと一蹴などしておられません。むしろあなたが願っていることをもっと深めていくようにと呼びかけられます。確かに主に従いゆく者に最終的に栄誉が与えられます。しかし、それは苦い杯を飲み干すくらい辛いところを通る必要もあるでしょう。行きたくないところに行かされ、したくもないことを背負わされる。報われもせず、評価も受けない道も歩む。理不尽も味わう。満身創痍にもなるかもしれない。徹底的に神と人とに仕えることが求められる道です。
子は必ずしも親の望むようには生きはしません。だからと言って、その先に祝福はないと誰が言えましょう。そんな将来など予測もしないゼベダイの子たちでしたが、やがて福音のために殉教の死を遂げ、牢獄に入れられ鞭打たれもします。そんな厳しい道など自分に歩めるものかとひるみます。しかし確かにあなた方はわたしの杯を飲めると保証して下さる主がおられます。そこに至るまで成長させて下さる主がおられます。その主に支えられて、与えられた課題に取り組むことにしましょうか。