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2024年6月2日 礼拝

説教概要

主は良いお方

小泉 美早子師

詩編103篇

自分で自分に言い聞かせることにも意味がありそうです。わがたましいよ、主をほめよと。聖なる主を知るとき、誰もが自分の罪の深さを意識せざるを得ません。その罪深さにおいてこそ主のゆるしや病のいやし、死からの贖いに出会うのです。主はあなたをゆるす神なのです。このゆるしを体験するなら、新しい生きる力に満たされて、羽ばたかずにはおれません。

 

心の目が開かれれば、あなたを今まで取り囲んできた神の恵みの数々を思い出しませんか。そのすべての恵みを心にとめたいのです。神が見捨てない以上、人生は捨てたものではないと必ずわかるはずです。詩人はイスラエル民族全体の過去から今までを展望します。そこにはある景色は悲しいばかりに汚れた罪の汚点の足跡ではあります。しかし、そこにも美しい花は咲きます。主が民の罪に従って、取り扱われなかった事実。驚くべきことにむしろ、父がわが子をいつくしむようなあたたかさで満ちています。

 

神の恵みに圧倒されてこそ、自分の正体ははっきりとわかるものです。自分などちりにすぎない。草や野の花のごとく一瞬にして過ぎ去るはかない存在にすぎない。しかし、あろうことか、偉大な神が、そんなちっぽけな存在のわたしに神の全存在をかかたむけて下さる。しかもそのいつくしみは永遠だと言うのです。なぜなぜそこまでわたしによくして下さるのでしょうかと問わずにはおられません。

 

答えは主は良いお方だから、としか言いようがない。この方には善意しかない。だからと言ってそこには主によくしてもらって当然だという驕りはどこにもない。むしろただ感謝しか生まれてこない。私たちにできることがあるとすれば、この方を自分の全存在で賛美することだけです。詩人とともに私たちも自分で自分に言い聞かせるのです。わが魂よ、主をほめたたえよと。生かされている限り、何があっても止めてはいけない、賛美を。

先週の説教概要

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