2021年6月13日礼拝会

説教概要

「神の前に立つ」内川寿造牧師

 岡山城の石垣は、犬島産の良質な花崗岩を使い三種類の積み方で出来ている。天守閣下など、多くの場所で採用されたのが「野面積み」である。切り出した大小様々な形の違う石を、ノミも当てないで巧みに組み合わせて積む。この方法は、形をそろえて整然と積む「切り込みハギ」と比べ、見栄えは荒々しいが、地震や風化には強い。

 

 さて、ローマ書も14章まで進んできたが、ここでのテーマは「異なった者が互いを受け入れ合い教会を建て上げて行くこと」である。「聖徒の交わり」を実りあるものとする秘訣でもある。パウロは二つの事例を挙げる。
 ①食べ物に関して。ある人は肉を避けて野菜だけを食べるが、別の人は肉でも野菜でも神に感謝して平気で食べる。背景には当時の市場で売っている肉は、偶像に捧げられた肉が混ざっていた。それで、「弱い人」は偶像礼拝になることを恐れて食べない。しかし「強い人」は偶像なるものは存在せず、唯一の神が与えて下さった恵みとして感謝して食べる。
 ②特別な日を重んじる人と、どの日も同じと考える人の相違。特に安息日を重んじるユダヤ人は命がけでこの日を守った。多くの逸話がある。今、私たちは土曜日の安息日を、主イエス様の復活を祝う日曜日の礼拝として守っている。安息日制定には二つの理由がある。天地創造の完成と祝福の日。(創世記2:1~2)エジプトの奴隷からの救出の記念日。(申命記5:15)礼拝は、創造主なる神を褒め称え、救いを感謝し、生ける主にお会いする喜びと祝福に満ちた時である。

 

 ここで大切なことは、肉を食べるか否か、安息日を守るか否かではない。お互い「さばかず」相手を認め受け入れることである。何故、裁かないか。
 その理由の第一は、神が「その人」を受け入れておられるからである。考えや習慣が違っても「その人」のためにもキリストは死んで下さったのだ。
 第二は、神のさばきがあり、私は自分の言動の申し開きをしなければならない。この裁きは、滅びか救いかではない。召しと選びは変わらず救いは確かである。どのような信仰生活だったかが問われるのだ。
 第三は、神の前に良心の確信を持って行動するからである。(14:22)他の人の躓きになるものを除き、互いの徳を高めることを求めよう。ダビデのように「いつも私の前に主を置いた」(詩篇16:8)つまり神の臨在を意識して生きよう。