2021年5月23日礼拝会

説教概要

「愛は倫理の基本」内川寿造牧師

 東京出張の多かった50代~60代の頃、帰りの新幹線が相生を過ぎると「岡山の空気」を感じ、「ああ帰ってきたな」と実感した。人混みの都会で疲れた心身が、穏やかな山や川、平野の眺めに癒された。岡山に住んで50年、岡山弁もそれなりに身に付き、岡山大好きの一人となった。

 私たちは天国と地上に国籍を持つ二重国籍者である。使徒17章、パウロのアレオパゴスでの説教では、民族、国籍、時代、居住地などは、偶然ではなく、神の摂理によると説かれている。「神はひとりの人から、すべての国の人々を造り出し、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました」(17:26)。天国に帰る希望を持ちつつ、現実には、日本の岡山で21世紀に生かされている。それが神の摂理でみこころであるのは、「使命」があるからだ。その使命とは「福音の証人」として、今置かれている所で神と人に仕えることである。

 さて、ローマ13章は、12章の個人の倫理から、社会的倫理に展開する。自己に対してだけでなく、国家と社会に対して責任的に生きるキリスト者の在り方が示されている。「上に立つ権威に従う」(ローマ13:1)、「だれにでも義務を果たす」(13:7)、その実践には前提がある。①権威は神によって立てられている。権威を現象ではなく、本質において理解する。権威の背後に神の聖定と摂理を見るのである。国家や政府、上司や親など、自分の上に立つものは偶然そこに存在するのではなく、神によると認めるのである。もちろん、権威が乱用され、信仰や良心に逆らうことを強要される場合は、権威を恐れず、神に従うことを優先する。さらに、上に立つ人のために祈ることが勧められている「王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝が捧げられるようにしなさい」(テモテ第一2:1)。②従順や義務を果たす動機は「愛」にある。奴隷的盲従ではなく、愛する故に積極的に良心的に従うのである。「愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。」(13:10)。十戒の後半は、社会生活の規定だが、その全ては「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(13:9)に要約される。

 愛は聖霊によって与えられる。聖霊に満たされることは愛に満たされることである。聖霊により神の愛が私たちに注がれるように祈ろう。