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2023年4月2日礼拝会

説教概要

​理不尽の中で

小泉美早子牧師

マルコの福音書 15章1~15節

 ピラトは驚きます。イエスというユダヤ人の王を名乗る男がローマ帝国への反逆者だと?あくまでも罪状は死刑執行権のないユダヤ議会のでっちあげです。主はイザヤ53章の御言葉のままに、一切語らず、反論せず、沈黙されます。エリート官僚ピラトにとって今まで出会ったことのない印象深い人物だったわけです。

  

 現在でも教会は多くの人にとって驚きの存在のはずです。なぜなら理不尽の多い世にあって、み言葉に従い行こうとする姿が驚きをもたらすのです。もしみ言葉に生きようとしないなら、何の独自性も失われ、社会に埋もれるだけです。しかし私たちが真剣に神を仰ぎ、み言葉に従い行くなら、その姿は証しとなって必ず強烈な印象を誰かに焼き付けることでしょう。

  ピラトはイエスが冤罪であると見抜いています。反逆者とは思えない、実際は祭司長たちがねたみのせいで引き渡したのだろうと。ピラトが高潔な人物だったからねたみに気付いたのではないでしょう。善人であればあるほど人の悪意には疎いものです。自分の中にどす黒い感情を持っている人の方が他人の悪意に敏感だということはありえそうな話ではありませんか。

  悪いのはユダヤ全議会だけでしょうか?彼らに唆されたとはいえ、十字架につけろと熱狂する群衆も看過できません。世論誘導されたのは、自分がないからです。信念を持たないと簡単に流され、無責任な決定をしてしまいます。匿名性の影に隠れようというのではなく、一人一人が責任ある自己として神とみ言葉の前に立ち、生き方を決めないといけません。

  最終的に死刑を決定したのはピラトです。ピラトも群衆も共通点があります。誰もが人を見ています。人を恐れ、人と比べ、媚びを売り、右往左往している。そういう中、ひたすら神を仰ぎ、神の意志に生きようとするイエスの姿はひときわ輝いています。翻って私たちの中にもその場しのぎの浅知恵でジレンマを切り抜けようとする姑息な心。誰かを羨むねたみの悪意。無責任に扇動されていく主体性の弱さ。受難週は自分を見つめ直す時期です。多くの人が驚くような証人に、あなたもなれるのですから。

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