2022年4月17日礼拝会

説教概要

「私にも現れてくださった」

​内川寿造牧師

コリント人への手紙 第一 15章7節~8節

 イースター(復活祭)を心からお祝いいたします。

 福音の中心は、キリストの十字架と復活です。罪のゆるしと永遠の生命が与えられた喜びで溢れています。十字架と復活が二千年前の歴史的事実であると同時に、今日、私の体験として味わえるとは何と素晴らしいことでしょう。

 第一コリント15章の前半で、復活のキリストがペテロに現われ、12弟子に現われ、五百人以上の弟子たちに同時に現われ、ヤコブに現われ、使徒たち全員に現われ、そして、最後に私にも現れてくださったと、感動して記しています。過去の出来事が、今の私の体験に重なるところに信仰の醍醐味があると言えるでしょう。

 さて、ピリピ4章でパウロは、同じ生けるキリストとの出会いを「主にあって」と表現しています。「主にあってしっかりと立ってください。」(1節)「主にあって一致してください。」(2節)「主にあって喜びなさい。」(4節)「キリスト・イエスにあって守られます。」(7節)

 「主にあって」という表現はパウロの手紙で40回以上使われています。主イエス・キリストとの「人格的な結びつき」との意味です。詩篇1篇3節の「水路のそばに植わった木」のように水源につながっている状態です。

 また、幹につながっているぶどうの枝にもたとえられます。生けるキリストとつながっていれば、時が来ると実を結び、豊かな実りを与えられます。信仰者の最も重要な、基本の姿と言えるでしょう。

 具体的には、いつも祈り心を保ち続けることです。「あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ4:6)

 祈りは心を、気持ちを、考えを神に向けることです。ネヘミヤは人生の岐路に立った時、「そこで、私は天の神に祈ってから」決断しました。王の前ですから、わざわざ座って手を組んで祈ったのではなく、心の中で瞬間的に祈ったのです。いざという時に祈れるのは、普段、祈りによって心を神に向けているからでしょう。

 死とサタンを打ち破り、よみがえられたキリストが共におられる。何と心強いことか。思い煩いは消え、平安と喜びが溢れてきます。ハレルヤ・感謝。