2025年3月16日 礼拝
説教概要
奉仕の基本形
小泉美早子師
マタイによる福音書4章1節ー11節
どんな仕事にも人知れない苦労はあります。主の仕事は十字架にかかる大事業ですから、奉仕の生活に入る前に、御霊に導かれ、ひとり神に向かい合ったのも当然です。40日も食を断って祈り、悪魔と直接対決し、正しい奉仕とは何かを教えてくださいます。
食べていく為の暮らしの心配をまずし、余力があれば奉仕すればいいではないかと悪魔は今もそそのかします。しかし、裏を返すとあなたの神はあなたの暮らしを支えられない弱い神で、あなたの暮らしの心配などして下さらないひどい神だから自分でなんとかせよと言うことです。そのような神に全力で奉仕する必要はないと言うのは本当でしょうか。いいえ、全能の愛の神に全身全霊を捧げましょう。神はわたしの暮らしを全力で支えられます。
とは言え、私たちの奉仕に対するイメージが間違っていると大変です。それは奉仕の成功だけを夢見る態度とでも言えばいいでしょうか。成功させないと意味がないくらいの強迫観念はある種の成果主義であって、信仰とは違います。神は成功でしか奉仕を評価なさらない方なのでしょうか。成功失敗などどちらでもいい。要はクリスチャンの内面を奉仕を通してどのように美しくしていくかが神のまなざしなのです。
奉仕とは神へのものであり、相手あってのものです。奉仕するのは結構だが、もう少し楽で賢いやり方はないのかと悪魔は巧妙に忍び込んできます。しかし、奉仕とは身を低くして相手にどこまでも仕えることです。相手を支配しようとすることではないから悪魔と手を組めるはずがないのです。
相手を愛して仕えようとするなら、面倒な目にもあう。我慢も強いられる。犠牲だって当然ある。これが仕えることの基本形です。主がその手本を私たちに示して下さっているのです。