2024年4月7日 礼拝
説教概要
叫べ全地よ
小泉 美早子牧師
詩編100篇
喜びの叫びがこの賛美には響いています。喜ばずにはおれないのです。人は主に思いを向けるときに喜びが湧き上がるようにできている。世界に満ちているのは悩み・苦しみ・悲しみかもしれない。しかし、どんな闇にいる者であれ、この方に心を向けるなら、そこには喜びが生まれる。
喜びの中にいる私たちは、その喜びを隠してはおれません。むしろ、この喜びを誰かと分かち合いたくなるものです。だから全地に、世界中に発信するのです。呼びかけるのです。叫ばずにはおれないほどの歓喜です。しかも、喜びは分けても半減しない。
喜びに理由などないに等しいのですが、一方ではっきりしていることはあります。主に心を向ければ、自分が何者なのかがわかる点です。われらは主のもの。その民。牧の羊。主がわたしを造って下さった。ならば、わたしの生きる理由も目的もこの方抜きにつかめるはずもない。羊飼いが羊を守り、養うように、主に養われることなしに、人生を正しく歩めるはずがない。しかし、主の手に導かれる人生を自覚する者には、自分探しは卒業です。
自分で自分を規定することなどできないのです。わたしたちの思いを主に向けるなら、だんだんとわかってきます。自分が何者なのかも、どうやって生きるのかも。わたしは神の愛の対象。それだけでも十分ではないですか。
ひとりひとりの人生は固有で、かけがえはない。もっとも人である以上、共通点もある。なぜ自分は造られたのか。主に感謝をささげるためです。ほめたたえるためです。賛美を響かせるためです。この目的からそれた人生はありえない。無理に鼓舞せずとも、主の恵みといつくしみとまことを思えば、たたえずにはおられない。人は主を礼拝するために造られました。今、ここで私たちは人として最も根源的な行為をしてます。主をほめたたえよ。