2022年4月3日礼拝会

説教概要

「天を見て生きる」

​内川寿造牧師

ピリピ人への手紙3章20節

 「兄弟たち。私を見ならう者になってください」(ピリピ3:17)
 パウロが「兄弟たち」と親しみを込めて言うときは、特に注意を喚起しようとする場合とか、重要なことを述べようとする場合である。3:13でも、聖化における重要な点に注意を喚起しようとして、繰り返し言い含めるために、こうした呼びかけをしている。

 「私を見ならうように」という勧めは、正しく理解しないと誤解を招く。一見、傲慢な我田引水のようにも聞こえるからだ。

 しかし、パウロは自分が完全な者だから、自分にならえ、と言うのではない。「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして追求しているのです。」(3:13)
 「この一事に励む」「一心に走っている」今、完成への途上にあって真剣な信仰生活の精進に励んでいる。その生き方、歩み方にならうようにと勧めるのである。

 私たちが模範とすべきパウロの生き方は、十字架に敵対する者の生き方と対比して描かれている。
 ①目を天に向ける。国籍は天にある。旧約に登場する信仰の先人たちは「地上では旅人であり、寄留者であることを告白して」(へブル11:13)天幕生活をした。人生を天に向かう巡礼と考え、地上の生活は仮の宿として生きたのである。家庭や職業を軽んじるのではない。それは証しの場であり、聖化の実践場である。
 ②希望に生きる。キリストの再臨を待ち望んでいる。世界は終わりに向かっている。しかし、滅びで終わるのではない。キリストの再臨により、新しい天と地に変わるのだ。この希望があるから、日常生活を誠実に歩んで行くのである。
 ③ゴールを見ながら生きる。私たちの卑しいからだは、キリストの栄光のからだと同じ姿に変えられる。救いは三重だ。

 

 すでに救われた。今救われつつある。やがて完全に救われる。終着点が見えているのは、何とうれしいことだろう。