2023年4月9日イースター礼拝会
説教概要
復活の主が
小泉智牧師
マタイの福音書 28章16~20節
弟子たちは山に登ります。ガリラヤで復活の主にお会いできるという言付を受けて。主との思い出が詰まったガリラヤのあの山だろうと察したのでしょう。見事、彼らは主との再会を果たし、礼拝をお捧げします。しかし疑う者もいたとは引っ掛かります。ごく一部の者とは限らない。ことによると11人が全員主の復活を疑ったとも読めるのです。
私たちに引き寄せてみるとあり得ましょう。復活の主が礼拝に私たちをお招き下さっています。しかし私たちの状況は必ずしもベストコンディションであるとは限らない。一点の曇りもなく主の前に出られると決まってもいない。疑いと迷いの中で礼拝に集う。しかし主は私たちの状況に関係なく、いいから礼拝においでなさいと祝福の手を広げられます。状況が悪いなら尚のこと、この福音の恵みを受けよと迫られるのです。
疑いの中にいる者に響いた主の言葉は権威についてでした。天と地の一切の権威を授かっているとの宣言。当然です。権威とは難しいことに挑み、快挙を成し遂げた者に賞賛と共に与えられるものだからです。人類の誰もが成し遂げられなかった死への勝利を収めた以上、一切の権威を授かった者と主が呼ばれることこそふさわしいのです。
それにしても疑いの中にいる者に、大切な福音を託していいものなのでしょうか。叱咤激励や一からの再教育は必要なかったのでしょうか。そんなものはいりません。私たちがどういう状態であろうと一切関係なく、世の終わりまでいつもあなた方ととこにいるとの声は消えることなく響き渡り続けているからです。主はどんな者をも用いることがおできになるのです。主の権威の及ばない領域などどこにもないのですから。
この方の命令とともに歩みだすなら、何よりも相手を評価する目が変わりましょう。父と子と聖霊の名の中に相手を見るようになる。相手がどんな者であろうと神との関係において人を見る。わたしのうちにも相手のうちにも主は今も生きて働いて下さっていることならいくらでも証してみせましょう。主は実によみがえられましたと。
イースターおめでとうございます。