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2025年3月9日 礼拝
説教概要
生まれた時から
小泉智師
ガラテヤ書1章13節ー17節
パウロはかつての自分がユダヤ民族として律法の伝統と先祖の言い伝えに熱心であった点と、それゆえに教会への激しく迫害を続けていたことを告白します。
信仰を持つ以前の私たちも自分なりの人生観があって、そこから一歩も出ようとしない面があったかもしれません。パウロの場合、それが実績主義でした。自分の行いで神に認められようとする生き方です。実績で評価していただく生き方は現代でも根強い気がします。
そういうパウロに主は出会って下さいました。人間業ではない出来事が啓示と呼ばれています。どんな頑なな生き方の者だろうと神は信仰を啓示して下さいます。しかも神は生まれた時から自分を選び、召して下さっていた方です。預言者エレミヤの召しを思わせる言葉です。
もちろん神に出会う前の過去には汚点も過ちも悲しいこともあります。しかし、神は人生を間違いなく導いて下さいます。人生の初めから計画をもってともにいて下さいます。神が信仰を啓示して下さるなら、人生のすべてが一本の線に繋がるような体験をします。振り返るときに確かにあれは神の導きであったと言えるのです。
啓示を受けたパウロはエルサレムの使徒たちをすぐには訪ねずアラビアに退きます。誰かの影響を受けたり、真似をしたり、模範とするのは悪いことではないでしょう。しかし、それだけではその人を超えることはできません。むしろ私たちは神によって変えられたという体験が必要です。わたしを変えることができたのは神だけなのです。
パウロのアラビアでの数年間はそういう時間です。私を立たせるのは人ではなくキリストですとはっきりと言えるようになるのが信仰だからです。
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