2024年3月17日 礼拝
説教概要
主は聖である
小泉 美早子牧師
詩編99篇
聖書、聖歌、聖餐。教会には聖がつく言葉が沢山です。何といっても神は聖なるお方なのです。神が聖だとはどういうことでしょう。全く違う類比しようがない、人とは異質なのです。そういう方がケルビムの上に座し、シオンにおいて高くあられ、王として即位なさるのです。何もかもが変わるのは無理もないでしょう。
現代日本人には王はなじみがありません。むしろ、個々人がま るで自分を人生の王としてふるまっているところがある。自分の望みがかなわないくらいの理由で、信仰につまづいていてはたまったものではありません。王である神はあなたとは全く違うお考えを、しかもそれがベストだという計画をお持ちなのですから。
神の聖さの中でも特にここで強調されているのは、神の公平さです。共同体の中の弱い立場にいる方にしわよせがいくのではない。誰かが誰かの犠牲になるのでもない。人間だけに任せていれば自然に実現できるというものではない。神の徹底した支配においてのみ、あらわれることなのですから。
ここで詩は一転、歴史を振り返っています。旧約聖書の宗教者。昔はよかったという懐古趣味ではありません。聖なる神が彼らを立てた事実は、彼らを通して聖なる神が民のところにまで近づいてこられた恵みを証ししています。その同じ神が、私たちの賛美にも臨在される。聖なる異質なはずの神が、私たちの近いところにまでおいで下って、いのちの交わりを持とうとして下さる。
神は決してあなたから遠い存在ではありません。人間からかけ離れた比類のないお方であるとは言え、あなたのそば近くまで近づいてきてくださるお方でもある。実際、神は人となられてこの地上を歩まれたではありませんか。聖霊は私たちの心を住まいとされるではありませんか。全身全霊でこの恵みにお答えするように問われている。差し出しましょうか。主に。