2022年3月6日礼拝会

説教概要

「価値観の転換」

​内川寿造牧師

ピリピ人への手紙3章9節

 ピリピ3章は「最後に」と言う終わりの挨拶で始まり、締めくくりとして、「主にあって喜びなさい」と、喜びを再度強調する。

 何時でも,何処でも、どんな状況でも喜べる秘訣は、「主にある」からだ。主イエス様との生きた関係が喜びの源である。万事を益に変えてくださる摂理の神を信じる楽観である。


 ところが、2節では、いきなり「犬」「悪い働き人」「肉体だけの割礼の者」に気をつけよ、との激しい語調に急変する。福音の根幹に関わる重大な危険を察知したからだ。

 「犬」とか「悪しき働き人」とは、ユダヤ主義者で、割礼を勧める者たちである。信仰のみで神の義(救い)を得たのに、割礼を受けると律法の行いによる自分の義に逆戻りするのだ。この問題は、使徒15章の最初の教会会議のテーマであった。
 「人間的なものに頼る」生き方から、キリスト・イエスを誇り、頼る者へと変えられたパウロ自身の経験から、信仰による神の義の大切さを説き起こしている。かつてのパウロには七つの「人間的な頼り」があった。

①八日目に割礼を受けた。

②イスラエル民族に属する。

③ベニヤミン族の出身。

④生粋のへブル人。

⑤律法についてはパリサイ人。

⑥熱心の点では教会の迫害者。

⑦律法の義については非難されるところがない。


 しかし、キリスト・イエスと出会って価値観が一変した。「得」であり誇りであった「人間的な頼り」が、「損」であり、捨てるべき塵芥となった。パウロとキリスト・イエスとの出会いは、使徒9:1~19に詳しい。

 私たちも同様にイエス様と出会い、人生が変えられた。「私の主」であるキリスト・イエスを知る素晴らしい体験をしたのである。「知る」とは、知識だけではなく、体験であり、具体的には聖書を通して神のみ心を理解し、祈りによって神との交わりを深めるのである。


 さて、9節の「義」とは、人または物がまさにあるべき状態にあること、建前に適っていることである。「義とする」とは、裁判上の言葉で、神の法廷で罪をゆるされ、正しい人としての資格を神から付与されることである。信仰に加えて、割礼を受けるのは、律法による自分の義を得ようとすることであり、信仰による神の賜物としての義を空しくする。

 割礼に象徴される人間的な頼りを捨て、イエス・キリストのみを頼ろう。喜んで十字架を負う道を選び、キリストの苦しみに与ることにより、復活の力に生かされていることを実感する。
 永遠の生命に与り、神の国を目指す日々を歩めることを感謝しよう。