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2024年3月3日 礼拝
説教概要
確かに主は来られる
小泉 美早子牧師
詩編98篇
歌えと詩人は促します。主がなされた不思議なみわざに対する新しい歓喜の声なのです。主は苦境の中にいる私たちのためにも生きて働かれ、明らかにこれは主だとわかる不思議なみわざで救って下さるお方なのです。主がどういう方かを誰かから聞いた話ではなく、主がわたしにして下さった体験に基づき歌うのです。
この時、イスラエルは苦境の中にいました。当時の列強諸国の中にあって、吹けば飛ぶような小さな存在に過ぎなかった。そういう共同体がいのちをつなぐことができたとするなら、それこそ神の不思議なわざでなくてなんでしょうか。力が正義とは限らないと、主がはっきりと証されたのでなくてなんでしょうか。
私たちも時に揺らぎます。弱肉強食のせめぎあいの中で、自分の無価値観にあえぐこともないわけではない。しかし、神はそのような視点では決してあなたをご覧にはなられないのです。むしろ、生きよと励まし、喜びのあまり歌わずにはおれないような、新しいことが主にあっては起こるのです。絶望する必要はどこにもありません。
絶望しないということは将来を見つめるということでもあります。希望の根拠はただ主にあります。確かに主が来られる。この一点においてのみ希望は確かなのです。正義をもって世界を治めるためにおいでになる。この確かさのゆえに海も大水も山も自然界のすべてが主を喜ばずにはおれません。ありとあらゆる楽器を用いて、力の限りにこの方を歌わずにはおれないのです。
現実には今は不正がある。苦しみもある。間違った価値観が幅をきかせている。しかし、主が王である以上、決してこのままでは終わらない。現実に振り回されるな。神の民である教会よ、新しい歌を主に歌え。
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